VNA VNA
Royal Trans A_ad-web_2019_hirota_01 A_ad-web_2019_Meria_01

結合双生児だったドクさんに独占インタビュー! ベトナム障害者スポーツの現状などについて語る

15/11/2019

VINABOO 04,1998

 

ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤の影響により、結合双生児として誕生した「ベトちゃんドクちゃん」。分離手術から19年後の2007年に、兄のベトさんは亡くなったが、弟のドクさんはホーチミン市で今も元気に暮らしている。日本から派遣された医師団が分離手術を支援したことや、その後も慈善活動などで頻繁に日本を訪れていることから、「今も日本とは強い絆で結ばれている」と語るドクさんだが、実は大のサッカー好きとして有名。今年1月のAFC U-23選手権でベトナムが快進撃を続ける中で、ベトナム紙がドクさんの単独インタビューを掲載したほど。今回はベトナムフットボールダイジェスト運営者が、ドクさんの現在の暮らしや障害者スポーツの現状などについて話を聞いた。

●プロフィール

グエン・ドク ( Nguyn Đc)

1981年2月25日、ベトナム中部コントゥム省で、下半身がつながった結合双生児として生まれた。1 歳のころ、ハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院)に移り、そこから兄はベト、弟はドクと名付けられる。1986 年にベトが急性脳症を発症し、東京で手術を受けるも後遺症が残り、1988 年にベトの容体が悪化したことを受け、兄弟の分離手術が決定。17 時間に及ぶ手術は成功し、ドクはその後、職業学校でコンピュータープログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ドクは2006 年に慈善活動を通して知り合った女性と結婚。寝たきりの状態が続いていたベトは腎不全と肺炎の併発により2007年に死去した。ドクの妻は翌2009年に双子を出産。双子は日本にちなみ、男児がPhu S ĩ(富士)、女児がAnhĐao(桜)と名付けられた。2017年には、広島国際大学の客員教授に就任している。

 

Q: 先日、37 歳のお誕生日を迎えたとのことで、おめでとうございます。実は私もドクさんと同い年なんです。私は2005 年にホーチミンに来たのですが、当時ベトナムのことはあまり知りませんでした。ベトナムについて思い浮かぶことといえば、ベトナム戦争、枯葉剤の被害、そして、ベトちゃんドクちゃん。子供の頃にニュースで見ていたドクさんに、こうして会うのは不思議な気分です。

 

ドク「私自身、日本の方々とは、とても縁があると感じています。こちらこそお会いできて、嬉しいです。」

 

Q: ベトナムと日本の架け橋として活躍されているドクさんですが、昨年は天皇皇后両陛下が訪越された際に面会されました。どんなお話をされたのですか?

 

ドク「平和な世界、戦争が起こらない世界が実現しますように、というメッセージをお伝えしました。そして、両陛下のご健康を心よりお祈りしますと話しました。」

 

Q: ツーズー病院で行われた分離手術は、日本から派遣された医師団が支援したと聞いています。当時は僅か7 歳でしたが、手術後初めて一人になった時のことを覚えていますか?

 

ドク「体が繋がっていたときは日常生活が大変でしたから、これからは自立した生活ができるということで、清々しい気持ちだったのを覚えています。」

 

Q: その後は、治療を受けるために、1 年以上も日本に住んだことがあるとか。今でもよく日本に行かれるのですか?

 

ドク「これまでに46 回、日本に行っています。日本全国の色々なところに行きました。昨年は体調が悪くて行けなかったのですが、今年は広島国際大学の客員教授として、また行くことになると思います。大学では、ベトナム戦争や平和への祈り、障害者の心などについて講義しています。」

 

Q: 日本に対する印象を聞かせてください。

ドク「美しい国、おもてなしの心を持つ国というイメージです。」

 

Q: 現在は、かつての入院先でもあったツーズー病院で働かれているそうですが、どんな仕事を担当していますか?他にも、いろいろな活動をされていると聞いていますが、具体的には、どのようなことをされているのでしょうか?

 

ドク「病院では事務を担当しています。その他には、ホーチミン市越日友好協会の執行委員会、慈善活動団体“美しい世界のために”(Vì MộtThế Giới Đẹp Tươi)の代表者も務めていて、障害者や貧困層の支援活動をしています。」

 

Q: ところで、以前、日本のニュースを見て知ったのですが、ドクさんは大変なスポーツ愛好家だそうですね。特にサッカーがお好きで、ご自身もプレーなさるとか。いつごろサッカーを始めたのですか?

 

ドク「1990 年だったでしょうか。治療のため、神戸に住んでいたころ、サッカーを習ったんです。当時は健常者のチームに混じって、松葉杖を使いながらプレーしていました。大阪大学と京都大学の対抗試合に招かれて出場させてもらったのは、日本での一番の思い出です。他にも、水泳やバトミントンを習っていました。」

 

Q: それは、すごいお話ですね。応援しているクラブや好きな選手がいたら教えてください。

 

ドク「マンチェスター・ユナイテッドのファンです。選手ならベッカムと元イタリア代表のトッティ。日本の選手で言うと、中田(英寿)が好きでした。」

 

Q: 双子のお子さんは現在、日系サッカースクールに通っているとのことですが、たくさんあるスクールの中で、どうして日本のスクールを選んだのですか?

 

ドク「日本の教育や文化が好きですから。子供たちには、スポーツを通して、健康で強い心を持った自立した人間になってほしいと思っています。」

Q: ベトナムサッカーと言えば、今年1 月のAFC U-23 選手権でベトナムが準優勝しましたが、この大会はご覧になりましたか?

 

ドク「もちろん!大会の初戦から決勝まで全試合観ましたよ。特に、準々決勝のイラク戦は感動しました。あの試合は、レ・フイン・ドゥック氏(元ベトナム代表で往年の名選手)から頂いた背番号10 のユニフォームを着て応援した

んですが、PK 戦でベトナムが勝利したときは、涙が止まりませんでした。昔、ホーチミン市で行われた両国の試合で、ベトナムはイラクに全く歯が立たなかったのに、ベトナムサッカーもここまで来たのかと感無量でした。」

 

Q: あの時はベトナム全土が大変な騒ぎでしたね。

 

ドク「本当に(笑)。ベトナムの選手たちを誇りに思います。」

 

Q: ベトナムの障害者スポーツの現状については、どのように考えていますか?

ドク「ベトナムでは、障害者に対する偏見も色濃く残っていますし、かなり遅れているというのが本当のところです。障害者は、何もできない人間とみなされており、こうした偏見が障害者の社会進出を阻んでいます。多くの場合は、何か見返りがなければ、障害者を支援しようという動きにはなりません。そういう現状ですから、私はベトナムの障害者スポーツに参加していません。」

 

Q: 障害者サッカーについて言えば、日本では7 つ(切断障害、脳性まひ、精神障害、知的障害、電動いす、視覚障害、聴覚障害)に分類されて行われています。ベトナムでは、障害者サッカーは行われているのでしょうか?

 

ドク「残念ながら普及していません。ベトナムにある障害者スポーツは、水泳やボディービルディング、重量挙げぐらいです。この20 年あまり、心の中で日本の障害者サッカーチームに入ることを夢見てきましたが、まだ実現していません。」

Q: かつて競技者だった立場から見て、ベトナムにおける障害者スポーツの普及にはどんなことが必要だと思いますか?

 

ドク「これは障害者スポーツの普及だけでなく、障害者の社会進出にも通じることですが、誠実さ、プロフェッショナリティ、そして心の繋がりがあれば、状況は改善していくと信じています。」

 

ベトナムフットボールダイジェスト

サッカー好きのホーチミン在住の翻訳家兼ライターが2013 年に開設したベトナムと東南アジアのサッカー専門サイト。V リーグやベトナ

ム代表だけでなく、アジア戦略を推進するJ リーグ各クラブの取材も精力的に行っており、サッカーを通じて日越の架け橋となるべく活動を

続けている。サッカーキング、フットボールチャンネル、エルゴラッソなど日本の大手サッカーメディアにも記事を寄稿。